『 鷹栖観音堂 』は『 観 』と『 音 』つまりは日本初の
『 千里眼 』発祥の地との伝承も在る!
空海和尚( 弘法大師 )は、この地を訪れた際に、
以下の内容を、述べられたらしい!
『 真言は、不思議なものである、本尊を観想しながら
唱えれば、無知の闇が除かれ、わずか一字の中に
千理を含む、この身のままで真理を悟ることができる!』
と述べており、この事情をもって『 真言 』という思想が、
日本全国へと広まったらしい。
( Wikipedia参照 )
現在の祭儀は『 重要文化財保護 』の観点から主な
祭礼は慈眼堂で行われている。
元々は対岸にある鷹栖山観音寺の奥の院として建てられたが、
現在では観音寺本体は無人の寺となっており、観音堂および
周辺施設のみ地元の地域住民の手で奇跡的に管理および
祭祀が続けられている。
鷹栖観音寺は国宝『 宇佐神宮 』建立以前から実在する
学説上は、法蓮( 後の八幡大菩薩 )によって
建立されたとされる。
後に虚空蔵寺の本尊であった薬師如来像がここに移された
( 現在の薬師堂 )。
奥の院としての鷹栖観音堂は、現在ではつり橋、および岩を
刳り貫いた洞門によって周辺地区と接続されているが、
当時は渡し船か山道しか直接行く方法はなく、百間岩と
呼ばれる断崖絶壁など、古くから景勝の地として
知られていた。
御主堂宇: 観音堂/大悲堂/慈眼堂/薬師堂 他:六波羅蜜
撮影場所: 大分県 宇佐市 山本 鷹栖観音堂
撮影日時: 皇紀:2680年 05月 04日 ( 早朝 )
撮影者名: 安倍 稔範
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